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原千晶35歳で腺がん再発。経験者が伝えたい全摘までの決断

検診をサボり始めてから約2年。35歳になった原千晶さんを待っていたのは、あまりにも残酷な現実でした。
久しぶりに訪れた診察室で浴びせられた、新しい主治医からの「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」という怒りの言葉。そして、愛するパートナーとの結婚を諦めようと、涙ながらに別れを切り出した夜。
「あの時、病院に行っていれば」「先生との約束を守っていれば」5年前の自分を呪いながら下した、「子宮全摘出」という決断。それは、女性としての未来と、愛する人の幸せの間で揺れ動いた、壮絶な葛藤の記録です。
35歳での再発発覚から、手術を決意するまでの緊迫した日々について語ります。

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タレント・女優

原 千晶

35歳で再発。「なんで放っておいた!」医師の怒号と絶望

30歳の手術から5年。仕事も結婚の話も順調に進んでいた35歳の原さんですが、体はすでに限界を超えていました。大量のおりものと異臭。もはや「忙しい」では済まされない異常に、意を決してがん専門病院の門を叩いた原さん。そこで待っていたのは、内診台での医師の重たい沈黙と、その後に続いた激しい叱責でした。

沈黙の臓器で広がっていた「腺がん」を突きつけられた

――35歳で2度目のがんが見つかった時は、最初の大学病院ではなく、別の病院を受診されたそうですね。
原さん
そうです。最初の時は「毎月検診に来て」と言われていたのに、2年くらいで行かなくなってしまったので、前の病院には行きづらくなっていました。それで違う病院を紹介してもらい受診したのですが、そこで診てくださった先生が、かなりはっきりと物をおっしゃる方でした。
――新しい先生は、どのような反応だったのでしょうか。
原さん
診察を受けた直後、「あんた、こんなになるまでなんで放っておいたの?!」って、いきなり言われました。
――いきなりの怒号......。それほどまでに状況は深刻だったということですか。
原さん
はい。子宮の頸部を見ただけでも腺がん(せんがん)という、たちの悪いがんが広がっていると。その場ですぐに「十中八九、リンパ転移があると思う」と告げられました。
――「たちの悪いがん」に「リンパ転移」......。あまりに急な宣告に、言葉も出なかったのではないでしょうか。
原さん
パニックでした。先生は専門用語を並べながら、「リンパがどうだ」、「ステージが1Bの2期(1B2期)で、ギリギリそこにとどまればいいけど」といった話をしてくれて。さらに「このまま放っておいたら、まず命の保証はできない」とまで言われました。
――「命の保証はできない」。その言葉はあまりに重いですね。
原さん
私からすれば、病院に行かなかった空白期間は2年半ほどでしたが、がんの進行は私の想像をはるかに超えていました。いざ土俵際まで追い込まれて、突きつけられた現実に「うわーっ」となるしかなかった。それほどまでに、身体の中では恐ろしいスピードで病魔が広がっていました。

【疾患解説】検診で見つかりにくい腺がんの恐怖

子宮頸がん、子宮頸部前がん病変には、発生する場所によって大きく分けて2つのタイプが存在します。この違いを知っておくことが、命を守る上で非常に重要です。

扁平上皮(へんぺいじょうひ)系

発生頻度
子宮頸がん全体の約8割を占めます。
発生場所
子宮頸部の外側(腟側)にできます。
特徴
病変が外側にできるため、検診で比較的見つかりやすいです。また、進行も比較的緩やかで、早期発見できれば完治の可能性があります。原さんが30歳の時に患ったのはこちらでした。

腺(せん)系

発生頻度
全体の約2割と少ないですが、近年、若い女性の間で増加傾向にあります。
発生場所
子宮頸部の内側(頸管内側)にできます。
特徴
病変が内側にできるため、通常の検診ブラシが届きにくく、発見しにくいことがあります。原さんが35歳で再発したのは、こちらでした。

腺がんの最大にして最悪の特徴は、skip lesionです。skip lesionとは、病変が連続せず、"飛び飛び" に存在する状態です。
正常組織を挟んで離れた場所にも病変が存在することがあるため、円錐切除術で病変がとりきれたようにみえても、頸管の奥に病変が残っている場合があります。
「検診を受けていれば100%安心」とは言い切れない、非常に手強いがんが潜んでいる事実を、私たちは知っておく必要があります。

針金先生

婦人科医師

針金 永佳 先生

Doctor's Comment

針金先生からのコメント

子宮頸がんの前がん病変や初期病変では、自覚症状がないことがほとんどのため、基本は定期検診を受けることがとても重要です。
検診結果によって、それぞれのタイプに応じたフォローアップや精密検査を行いますので、医療機関からの指示に従って必ず受診してください。

5年前の警告を無視した代償。「今なら子宮を取るだけで済む」

――「命の保証はできない」とまで言われる状況に陥って初めて、ご自身の判断の過ちに気づかれたのですね。
原さん
そうですね。新しい先生から厳しい言葉を投げかけられた時ふと、5年前に最初のがんが見つかった時のことがフラッシュバックしました。
――30歳の時、最初の主治医の先生とのやり取りですか?
原さん
はい。当時、先生は「全摘したほうがいい」と私に何度も説得してくれました。「原さん、今だったら単純に子宮を取るだけで、単純子宮全摘だけで済む」と。
――当時は、その言葉をどう受け止めていらっしゃったのですか。
原さん
当時の私は知識もなく、「子宮を取りたくない」「なんで私だけこんな目に」という感情だけで拒絶してしまいました。先生の言葉を「子宮を奪われる」というネガティブな意味でしか捉えられず、結局は自分のわがままで手術を止め、経過観察からも逃げ出してしまっていました。
しかし、がんが再発して「命の保証はない」「リンパ転移の疑いがある」と言われたあの瞬間、先生の言葉の本当の意味がようやく分かったんです。「今なら子宮を取るだけで済む」というのは、「今なら確実にあなたの命を助けられるよ」という、先生からの必死のメッセージだったんだと。
――「命を確実に救える」という約束だったと。
原さん
そうです。「あなたのことを助けたい」と強く思ってくれていたからこその言葉でした。それなのに私は、軽く捉えて無視して逃げてしまって。土俵際まで追い込まれて命の危機に直面して初めて、自分がどれほど甘かったのか、どれほど大切な警告を無視してしまったのかを思い知らされました。あの時、先生の言葉に従っていればという強烈な後悔が押し寄せてきました。

恥を忍んで戻った古巣。「大丈夫、助けてあげる」主治医の言葉に涙した日

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――新しい病院で「命の保証はない」と宣告され、パニック状態だった原さん。最終的に手術を託したのは、かつてご自身が逃げ出してしまった最初の大学病院の先生だったそうですね。
原さん
はい。新しい先生に怒られて、病状の深刻さを知った時、頭に浮かんだのは「とにかく助けてほしい、死にたくない」という一心でした。そこで、恥を忍んで、かつての主治医の先生の元へ戻る決心をしたんです。
――5年前、「全摘したくない」と抵抗し、そのまま検診に行かなくなってしまった、あの先生の元へ......。相当な覚悟が必要だったのではないでしょうか。「なぜ来なかったんだ」と怒られるかもしれない、という恐怖はありませんでしたか?
原さん
合わせる顔がない、きっと呆れられると覚悟していました。 しかし、久しぶりに再会した先生は私を一切咎めず、「原さんみたいな患者さんは結構いるんだよ。途中で来なくなっちゃう人」と言って受け入れてくれました。
そして、「過去のことをいつまで言っても仕方がないから。これから頑張りましょう」と。 当時の私は、再発の状況がひどくこのまま死ぬのではと、震えていました。先生は私の様子を察してくださったんでしょうね。
――不安で押しつぶされそうな原さんに、先生はどんな言葉をかけてくれたのでしょう。
原さん
「大丈夫だから。怖がらなくていいから。僕が助けてあげるから」と。力強く言ってくれました。
――「助けてあげる」。医師からのその言葉は、どれほど心強かったことか。
原さん
涙が出るほど嬉しかったです。厳しい現実に絶望していた中で、その言葉が救いになりました。逃げ出した私を見捨てずに「助けてあげる」と言ってくれた。その先生の言葉があったからこそ、もう一度先生を信じて頑張ろうと、手術に向けて前向きに立ち向かう心が決まったんです。

結婚直前の全摘決断「子供を産めない私」と「生きてほしい彼」

35歳、結婚目前での再発告知。医師から告げられたのは、命を守るための「広汎子宮全摘出術」でした。それは、愛する人との間に子供を望めなくなることを意味します。相手は新潟の旧家の長男。「私が彼の人生の足かせになってはいけない」。罪悪感に苛まれ、病室で別れを切り出した原さんに、彼が返した言葉とは。

「私との結婚はやめたほうがいい」長男である彼に告げた別れ

――35歳で再発の発覚は、プライベートでも大きな決断を迫られるタイミングと重なっていたそうですね。
原さん
そうです。実は当時、今の主人と付き合っていて、結婚という話が出ていた矢先の出来事でした。主人の実家がある新潟へ二人で挨拶に帰ろうと計画していて。しかし、がんがわかって急遽それを取りやめました。ご両親には本当のことが言えず、「仕事が入ったので行けなくなりました」と嘘をついてキャンセルして......。
――結婚を目前にしての再発。彼にはその事実をどう伝えたのでしょうか。
原さん
もう、泣きながら伝えました。「私と結婚するということは、子供が産めない、できないということだ」と。主人は長男で家の名前を継ぐ立場なので、私が彼の人生の足かせになってしまうと思っていました。そして、「私との結婚はやめたほうがいいんじゃないか」と、彼に別れを切り出しました。

「そんなことより生きてくれ」私が自分の命を諦めなかった理由

――「子供を産めない自分は身を引くべきだ」と。それに対して、彼はどんな言葉をかけてくれたのですか。
原さん
主人はきっぱりと「そんなことはない」と言ってくれました。「そんなことよりも、とにかく千晶が元気になって、健康を取り戻すことだ。まず目の前にある問題を一つ一つ解決していこう」と。私を励ましてくれました。
――その言葉は、原さんの心にどう響きましたか。
原さん
それまではずっと、「自分の体だから私が良ければいい」「どうなったっていい」と、どこか独りよがりに強がって生きていました。しかし、私が病気で倒れることで、私がいなくなることで、泣いて悲しむ人がいる。その現実に直面して初めて、自分の考えが変わりました。
――「自分のため」だけでなく、「大切な人のため」に生きようと。
原さん
そうです。手術が決まり、家族になろうとしてくれているパートナーがいる。でも、自分がきちんと病気と向き合ってこなかったせいで再びがんになり、これから家族になろうとしている大切な人たちの人生を変えてしまう。そのことが、何よりも心苦しく、申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでした。
主人には子供を持たない人生を歩ませることになる、義両親には孫の顔を見せられず、名を継ぐこともできなくなる......。
死んで悲しませること以前に、私のせいでみんなの人生を狂わせてしまうことが、ただただ苦しかった。だからこそ、今度こそ逃げずに、絶対に生きなきゃいけないんだと強く思いました。それが、私が命を諦めなかった一番の理由です。

命は繋がった。しかし「戦い」は終わらない

「子供が産めなくなるなら、死んだほうがマシだ」再発を告知された夜、泣き崩れながらそう思った原さんですが、夫の「生きてくれ」という言葉と、逃げ出した自分を受け入れてくれた主治医の「助けてあげる」という言葉に支えられ、彼女は手術台へ上がる決意を固めました。
手術は無事に成功して命は繋がりましたが、がんという病気は「切って終わり」ではありませんでした。
命を取り留めた安堵の先に待っていたのは、女性としての喪失感やパートナーとの微妙な距離感、そして忘れた頃にやってきた新たな後遺症との闘いです。

【原千晶さんインタビュー記事一覧】
本サイトでは、原千晶さんの闘病から現在に至るまでの軌跡を、テーマ別の全3本のインタビュー記事でお届けしています。痛みを知る彼女だからこそ語れる「命のバトン」を、ぜひ他の記事からも受け取ってください。

▼ 第1弾:30歳での発覚。「子宮を取るだけで済む」警告を無視した代償
「痛くないから大丈夫」「一度手術したから平気」
無知と過信から検診をサボり、自分の体を守るチャンスを自ら捨ててしまった30歳当時の後悔と、失ってから気づく「当たり前」の尊さに迫ります。

▼ 第3弾:術後のリアル。後遺症との闘いと「未来の守り方」
「手術から14年経って突然足がむくみ始めた」「実は夫とは結婚前からずっとレスなんです」
今まで赤裸々に語られてこなかった術後の真実と、がんになっても続いていく人生の守り方をお届けします。

よつばの会

30代で2度の子宮がんを経験したタレントの原千晶が37歳の時に立ち上げた婦人科がん患者会「よつばの会」。
参加資格は乳がん、子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がん等、女性特有のがん経験者です。
年齢も背景も異なる女性がそれぞれの経験を気兼ねなく話したり、がん経験者同士の交流や病院・治療についての情報共有を行う場として15年間続く会です。

よつばの会

関連サイト

よつばの会

https://www.yotsuba-kai.com/

SUPERVISER この記事を監修した人

原千晶

PROFILE

原 千晶(はら ちあき)

タレント・女優

1974年生まれ。北海道出身。1994年クラリオンガールに選出され、その後タレント・女優としてドラマや映画で活躍。 30歳の時に子宮頸がんを患い、円錐切除術を受ける。その後、35歳の時に子宮体がんが再発し、子宮全摘出手術を受ける。

現在は、自身の経験を活かし、婦人科がん患者を支援する「よつばの会」を主催。 また、一般社団法人「日本キャンサーアピアランスケア協会」の理事をつとめている。 全国での講演活動や、がん検診の啓発活動に尽力している。

SUPERVISERこの記事を監修した人

針金先生

PROFILE

針金 永佳 (はりがね えいか) 医師

医学博士
専門分野:婦人科

東京ミッドタウンクリニックに勤務。日本医科大学医学部卒業。日本産科婦人科学会専門医。周産期新生児医学会周産期専門医。女性医学学会女性ヘルスケア専門医。新生児蘇生法「専門」コース修了。由利組合総合病院産婦人科、日本医科大学武蔵小杉病院 女性診療科・産科を経て現在に至る。

東京ミッドタウンクリニック:https://www.tokyomidtown-mc.jp/

※掲載している情報は、記事公開時点のものです。
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